もう一つの『ね〜え?』

ハロ☆プロパーティコンを初日に参戦した時に、
ステージを半分しか観れなかった曲が二曲ある。
一曲は『ロボキッス』、そしてもう一曲は辻さんの歌う『ね〜え?』。
ロボキッスの時は恐怖を感じるくらいその世界観に圧倒されて、
お約束の吐き気で前半ステージが観れなかった。
『ね〜え?』の時はまた違うベクトルが働いた。
私はののがあややを好きな事も、
彼女の曲をカラオケでも歌っていたのも知っている。
だから松浦さんの曲をののが歌うんだと判ったのと、
その余りに別物と化したののらしい『ね〜え?』を見て
笑いと涙で感極まってしまったのだ。


カラオケコン”と揶揄されるほどハロプロがカヴァー曲で蔓延する中で、
ののの『ね〜え?』ほどオリジナルとかけ離れたものは無いだろう。
欽ちゃん走りに、レギュラーの振りマネ、
間奏部分では「みんなでジャンケンいきますよ♪」と、
なんと客席とジャンケンまでやっている。
圧倒的なののワールドがそこに繰り広げられていた。


去年のWスタンバイのDVDでののは
「客席のみんなとダルマさんが転んだをやりたい」と発言している。
さすがにそれは無茶だと思ってたけど、
ジャンケンという形で望みを叶えるとはまさにののは奇跡。
ファンだけでなくメンバーをも楽しませようと変顔をしていた娘。時代から
今度はファンも一緒になって楽しんで貰おうとジャンケンをするのの。
人に喜んで貰いたい、楽しんでもらいたいという
気持ちで溢れているののの『ね〜え?』。


この辻さんの『ね〜え?』は元曲と余りにかけ離れている為に、
観る人にとってはふざけているように感じるかもしれない。
残念な事にのの推しの中ですら「振りが違う」などとクレームを出す人までいる。


私的な話をさせて貰うと、私はカラオケではその曲の歌い手の
声質にできるだけ似せて歌おうとするし、
ダンスも振りを憶える時には、まずはその振りの意味を
理解しようとしてるし尊重してる。
こんな人間だけど、ののの『ね〜え?』にはただ感動するばかり。
別に右翼だからとか関係ない。


私は本質的には頭が堅いマニュアル人間だ。
だからこそ私と正反対に無軌道、破天荒で決してレールの上を走る事のない
あいののに惹かれて敬愛している。


アーティストを慕うものが集い演じてできる
『トリビュートアルバム』なるものがあるが、
スタジオや機材までオリジナルを再現するようなコピー派と、
自身の色を出すアレンジ派がいる。
そこに優劣などないが私は極端が好きだ。
コピーするなら徹底して欲しいし、アレンジなら最大限に自分を出して欲しい。
ののが最大限に魅力を発揮するのは、何にも縛られずに
自由に行動している時だと信じている。
『ね〜え?』はカヴァー曲だけど、ダブルユーミニモニ。
全く引けを取らないのの“らしさ”を感じました。



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松浦さん(の曲)をただ事務所に選曲されて嫌々歌ったんじゃない、
少なくともカラオケで歌うほど特別な感情を持っている曲だと
知っているからこそ余計にののの『ね〜え?』には
感じる部分があったんだと思います。


昔、ハロモニでれいなが舞台裏(?)で『チュッ!夏パーティ』を
振り付きで歌っているのを観て無茶苦茶嬉しかったのを憶えてます。
れいなが娘。に入る前の曲、今後もれいなが歌う
予定のない曲を完璧な振りで歌った。
そこにはれいなが『チュッ!夏パーティ(三人祭)』が好きだっていう
確かな物語があったんです。


ミニモニ。をカヴァーされるのは理屈抜きに許せない。
ただ。そこに理由が、物語があったのならまた感情も変わったかもしれない。
なんの意義も見出せないカヴァー曲。


「私が選んで歌わせてもらいました。大好きな曲なんです」


MCでも何でもたった一言でいい。
何かそこに繋がりを見せて欲しい、物語を作って欲しい。
この一言だけで、その子を推してるファンは聴く耳を持つし、
オリジナル曲に想いを抱く人は救われる。


年に3〜4回同じ人のライヴに行けば世間的にはファンと呼ばれる存在だ。
私はハロプロ系だけで年に何十回も参戦している。
あくまでハロプロが主戦場。
他のアイドルと呼ばれるライヴには行かないし興味もほとんどない。
あいのの右翼のつもりだったけど
気が付けば世間的には私も立派なハロプロ右翼。


嫌うより好きになった方がいい。
認めた方が楽になれる。
娘。を家族と感じたように、ハロプロを家族に感じる事ができたなら
きっと全てが楽しいし、全てを許せるのだろう。