『明日なき戦い』

◇2月13日。
会社移転に伴い去年の秋から私は電車通勤を始めた。
通勤時間は家から1時間半かかり、そのうち電車に乗ってる時間は40分程度。
他人と触れるのが嫌いな私にとって満員電車は苦痛でしかなかったが、
それもようやく慣れてきた。慣れるというより、
なるべく人と接しないポイントを見つけたといったところか。


この日も電車待ちの列に早くから並んだ。
そして電車が到着するとなるべくドアから離れた奥の場所をキープした。
ドアから離れるほど人と触れ合わないという電車リーマンの知恵を身に付けた。
電車が発車するといつものように携帯ネットにアクセスした。
共同通信で世の中の動きを知り、ヲタサイトでヲタの動きを知るのだ。


いつものように携帯を操作してると隣人が軽くぶつかってきた。
満員電車で慣れたので多少の接触は気にもしない。
ぶつかってくる方を見向きもせずに携帯から流れる情報を読んでいた。
暫らくすると接触がだんだん強くなってきた。
幾ら満員電車とはいえ私のいる場所は若干のスペースはある。
にも関わらず、まるで頭から突っ込んでくるような感触に
さすがに違和感を覚えた私は隣を思わず見つめると


顔面冷や汗をかいて意識が失いそうな女子高生がいた。


人として、男として、雄(オス)として女子高生を助けるのは義務だ。
是非とも救ってあげたい。
しかし満員電車で助けようもないこの状態で何ができるんだろう。
「大丈夫ですか?」なんて見たら判るだろって話だし、
自分が座席に座ってるなら譲る事もできたろうが、
立ってる状態では結局は声を掛けるだけで何もできやしない。
でも人としてこのまま見過ごすのも云々…。


こんな堂々巡りをしてる内に今度は自分の所に死神が舞い降りてきた。
呼吸が苦しい。目眩がする。心臓の鼓動が早くなる。ああ、もう…。
元ボディビル同好会所属のこのナイスガイがまさかの貧血。
全校朝礼で貧血で倒れるあのもやしっ子達と同じ気持ちになるとは
夢にも思わなかった。
こうなると人の事なんて気にしてる余裕はなくなった。
若干体を上下に揺らしたり、手をつねったりして気を保とうとするが無駄。


恥を捨てなきゃ死ぬ!


上着を脱ぎベルトを緩めネクタイを外しシャツのボタンも外して、
できる限りの事を試みた。しかし相変わらず意識が朦朧としてる。
「もうダメかもしれない」
気がつくと私は無意識の内にしゃがみこんでいた。
地面の冷えた空気が私を包み込む。私は生き返った。


九死に一生を得た気分でふと辺りを見渡すと、
まるでモーゼの十戒のようにあれほど満員だった車両に空間ができていた。
勿論中心は私。あの女子高生といえば平気な顔して携帯電話をイジってる。
ああ、体調持ち直したんだね。ああ良かった。


私は悟った。世の中電車男も電車女もいやしない!
頼れるのは己!そして養命酒のみ!!





◇2月14日。
バレンタインで浮かれる若人達とは対象的に
この日の私は健康で一日を過ごす事に全身全霊をかけてた。
前日の「電車の中貧血で服を脱いで座り込む」という大失態を
もう二度と繰り返してはならないからだ。


あれからネットや医学辞書で症状について調べてみた。
どうやら『脳貧血』というものが一番近いっぽい。
脳への血液循環が滞るとなりやすく、原因としては
体調不良や寝不足の他に“自律神経”も関係しているという。
私の場合間違いなく“自律神経”が原因なんだろう。
こればかりは加護さん復帰会見まで完治は見込めないので、
とりあえずできる限りの自分なりの応急治療をしてみた。
養命酒を飲み、鉄、銅、亜鉛葉酸を摂取。逆立ち。
緊急手段として最高級の“気付けソング”を
いつでもIPODで聴けるようにした。
気付けソングは当然ダブルユーにしたかったけど、
万一聴きながら倒れたりしたらトラウマソングになる可能性があるので、
テンションが上がりつつ、かつトラウマにならない名曲をセレクションした。


電車がやってきた。
敢えて昨日と同じ車両に乗り込み、同じポジションに立った。
昨日を克服する為に。校庭のもやしっ子とさよならする為に。
ドアが閉まると急に息が苦しくなってきた。目眩もする。
サプリメントが速攻で効くとは思ってなかったが、
体が弱ってるのか電車拒否症になったのか早くも絶対絶命のピンチ。
大きく息を吐くetc、ネットで見た対処方も効果が無い。


早くも緊急手段IPODの出動だ。


大音量で若干ヘッドバンキング気味にリズムに乗った。
今を忘れる為に無我夢中でリズムに乗った。
意識がそちらに飛んだのか、ヘドバンで血の巡りがマシになったのが
理由か判らないが気付けソングによってとにかく体調が回復してきた。
VIVA!MUSIC!音楽は癒し!!
安堵した私は携帯を取り出しいつものようにサイト閲覧してると、
トントンと肩を叩かれた。
見ると40歳くらいの男性が険しい顔して何やら言いたそうだ。
イヤホンを外し「何ですか?」と爽やかスマイルで訊ねてみた。
すると…。


「イヤホンから音漏れまくってんで!」


お叱りのお言葉を受けた。
気付けの為に最大音量にしてたのが他人には迷惑だったのだ。
確かに耳から外したイヤホンからは大音量で車内に響き渡ってた。
それはそれは雑音レベルではなく、歌詞もメロディもはっきり判るほどでした。
私に近くにいた人は皆私がどんな音楽を聴いて
頭を振ってたか全部聴こえてたんです。全部。






大きな愛でもてなして
大きな愛でもてなして
大きな愛でもてなして
大きな愛でもてなして
大きな愛でもてなして
そこん〜とこ大事なことよ





◇2月15日